生駒聖天宝山寺初詣(5)/番外編1975年の生駒山
2010-01-13


この写真だけ見せて「1975年の映像です」なんていわれても、客観的証拠と言うか手がかりと言うか、1975年だろうなぁと思わせるものは何も写っていないので説得力ゼロです。「昨日撮った?」と言われても仕方が無いような写真なんですが、本当に1975年なんです。高校受験直前、中学三年生の冬休みでした。こうやって写真ばかり撮って遊び呆けて全然勉強しなかったし、全然勉強しなくてもすいすい進学できるほどの頭でもなかった中途半端な餓鬼でした。もうちょっとどちらかに転んでいたら、今のような薄ら馬鹿にはならなかったのですが…。


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 1975年の初日の出。


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 1975年1月1日の天文台。

 この写真の印象をもとに「荒天の冬至に立り天文台」とか言う句を読んで何かに入選したことがあります。写真は全然荒天じゃないし冬至でも無いのですが。まぁそこはイマジネーションという事で。

 誰もが「生駒の天文台」なんて呼んでいましたが、正しくは京都大学の「生駒山太陽観測所」なんだそうです。しかも付け加えればこの建物に限ってはもと「航空灯台」であるとのこと。このあたりはこちら[LINK]こちら[LINK]に記載が少しあります。

 中学生だった私たちもご多分に漏れず天文台の廃墟へ忍び込み、地下の暗室みたいなところに薬品のクラシックな大瓶が大量に放置されているのをのをみつけてびっくりしたことがあります。てっぺんにドームを載っけた塔もあって「これってシーロスタットなのかなぁ?」とか、とにかくその理科的雰囲気に興奮したものでした。

 天文台があったせいか、山頂の遊園地の一角には生駒山宇宙科学館という施設がありました。1969年の開館で、当時のSF・宇宙好きの小学生にとってはとても楽しいところで、よく行きました。中学生になっても尚行ってましたからね。
 今はもう閉館してしまったようですが建物は残っています。

 それに合わせたのかどうかはわかりませんが、近鉄生駒ケーブルの山上線を走っていたケーブルカー「コ5形」(1953年導入)にはそれぞれ「こぐま」「はくちょう」と星座の名前が控えめにつけられていました。でもそれだけで心踊ったものです。今は新しい、えげつない趣味の車両に置き換えられてしまいましたが…。

 長い間天文台あたりへは行っていませんが、下からもこの塔は良く見えます。生駒がわへ回れば、天文科学館もよく見えます。暖かくなったら訪ねてみたいものです。


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