さて、そんな「兎ガ原」*(注1)ですが、今ではもう「兎ガ原」の呼び名が消滅してしまっているようです。しかし当時は京阪電鉄の立てた看板があったように記憶しています。
私市駅から歩き始め、月輪の滝を越えると「兎ガ原を経てくろんど池」という小さな立て札が立ててあったように思っているのですが、定かではありません。ネットを検索しても、まったくそんな記述がヒットしませんでした。
それどころか、本当に「兎ガ原」があったのかどうかさえも、証明するものが無く、確信はしていたものの、次第に自信は失われて行きました。
そこで、古いハイキングガイドや京阪のパンフレットなどに記述がないのだろうか?と思いたち、まずは印刷物を探す事にしました。折しも天満の天神さんと天王寺さんの境内で古本市が開かれています。お天気も良い事ですし、ガイドブックかパンフレットの類いが出ていないが探しに行ってきました。
はたして、うまい具合にガイドブックが見つかりました。昭和52年(1977年)9月20日発行の創元社「関西ハイキングガイド」には地図*(注2)が掲載されています。(クリックで拡大)
[LINK] (
禺画像])
この地図にはちゃんと「兎ガ原」と記載されています。そして兎ガ原に関しては、ガイドの文中にこう書かれています。
---------------------------------------------------------
〜睡蓮の浮かぶ人工池を過ぎると、小松の美しい兎ガ原の高原になる。そしてたんぼが見えて、くろんど池に着く。
---------------------------------------------------------
この記述と記載の地図と私の記憶から、地形図を見てその位置を推測すると、下の1/25,000地形図の緑色に塗ったあたりが「兎ガ原」では無いかと思われます。(クリックで拡大)
[LINK] (
禺画像])
確かに、水路があり南側には針葉樹林が在り、くろんど池近くには水田が存在しますから、私の記憶と合わせても、おそらくここが「兎ガ原」であると思われます。
Googleの衛星(航空?)写真で見てもよくわかります。(クリックで拡大)
[LINK] (
禺画像])
これで「兎ガ原」がやはり確かに存在する事がわかり、随分と胸のつかえが取れました。
それにしても、どうしてこの地名が消えてしまったのでしょうか?おそらくコースを整備した京阪電鉄が勝手に付けた地名なのでしょう。大阪府が府民の森を整備するにあたって、本来ではない地名は顧慮しなかったのだと思います。なんだかもったいない話しだと思いますね、せっかくの可愛い名前なのに。
このエントリを書くにあたって、当時の兎ガ原の写真は無いかとネガボックスをひっくり返してみましたが、残念ながら該当するコマは発見できませんでした。その替わりと言ってはなんですが、遠足で出かけたりした時に取ったモノクロのネガが少しだけ出てきましたので、次回はそれをアップしてみたいと思います。
*(注1)「うさぎがはら」の表記については、ここで引用した創元社のガイドブックでの表記「兎ガ原」に統一しました。以前のエントリもさかのぼってそう表記してあります。
※コメントの受付件数を超えているため、この記事にコメントすることができません。